日本杖道会ロゴ

日本杖道会と錬武館

錬武01 錬武02

錬武館道場

 筑前黒田藩に連綿と伝えられてきた神道夢想流を、現在のように全国に浸透させた功労者は故清水隆次師範と故中島浅吉師範であり、両師範を支えてきた故乙藤市蔵師範他諸先輩、先生方である。とりわけ、昭和初期に普及振興を使命として上京、杖術から杖道へ発展させた清水師範の功績は著しい。講道館や警視庁での指導が足掛かりとなり、昭和四十年(1965年)には世田谷区に杖道の本部道場として錬武館を設立、これが機縁となり民間人へも飛躍的に波及した。

 それ以前、当時警視庁勤務だった神之田常盛師範は剣道、柔道、居合道等に励んでいたが、昭和二十七年(1952年)に清水師範と出会って以来、杖道の研鑚に打ち込むようになっていた。神之田師範は、心酔した清水師範の供となり錬武館の建設に奔走、開館後は師範代としてさらに杖道の普及拡大に努めた。しかしながら、借地返還の事情により錬武館を閉館することになり、昭和五十三年(1978年)二月、渋谷にある蔵脩館へ稽古場所を移した。錬武館道場設立および蔵脩館への移行の経緯については、「杖で天下を取った男」(あの人この人社・杉崎寛著)に詳しい。以下、少々長くなるが引用する。

 『神之田氏が助教をしていた第四機動隊の道場に、何人かの一般の人も稽古にきていた。その中に鈴木三千雄氏と小林市郎氏の二人がいた。

 …中略…

 二人は会社経営をやりながらも、他方では青少年の育成に、大きな関心を持っていた。清水範士に杖を学んでいるうちに、それが具体的な構想として浮かんできたのである。

 ある意味では、杖道に魅せられたともいえる。杖道の道場を造り、杖道の稽古を通して、体育向上と精神練磨を行い、護身術を身につけ、国のために役立つ立派な青少年を世に送り出す。こう考えた。そして、その考えを実行に移したのである。

 鈴木氏は、数千万円もの価値のある土地百坪を、無償でしかも十年間の条件つきで貸してくれた。小林氏と井上新三郎氏、神之田氏が、実際の道場建設を担当してそれぞれ奔走した。

 世田谷区下馬一丁目のその土地は、旧近衛野砲連隊の練兵場があった所である。またその道場の用材は神之田氏が奔走し、旧近衛連隊の兵舎の一部を払い下げてもらった。戦後、第一機動隊が柔剣道の道場に改造して、十数年にわたって使っていた。それを解体し持って来て、もう一度建直したものである。

 …中略…

 錬武館の道場建設には、当時の金で百四十万円かかっている。その資金調達のために、清水範士が五十万円、神之田範士十万円、合計六十万円を三田のある信用金庫に積み立て預金し、その信用実績によって百四十万円の資金を捻出、昭和四十年十二月二十六日に竣工したものであった。

 この道場が完成したとき、清水範士はすでに六十九歳になっていた。しかし八十一歳で亡くなるまで、ほとんど毎日のようにこの道場に通って、門人の指導にあたっていた。

 …中略…

 なほこの錬武館は、約束の借用期間を二年オーバーした昭和五十二年一月八日、土地の返還要請があったので、返還することになった。

 清水範士は門弟のために、次の稽古場を準備した。渋谷の自宅の庭先にある、金王八幡神社経営の蔵脩館道場がこれである。

 清水範士が門人の大川五郎氏とともに、比留間宮司を訪ねて行き、正式な道場借用の覚書に署名したのは、昭和五十三年二月であった。

 それから稽古始式と四、五回道場に出られたが、六月二十二日に、清水範士は満八十一歳で亡くなられている。しかし清水範士が残された唯一の蔵脩館道場は、大川五郎氏、神之田範士によって、全国屈指の杖道研修の場として、発展を続けている。』

 なお、錬武館の所在地は正確には世田谷区池尻一丁目であった。(世田谷公園の横手で、現在はマンションとなっている。)上記の引用文中「下馬一丁目」とあるのは、下馬一丁目と池尻一丁目が世田谷公園を境に隣り合わせており、その辺り一帯が練兵場の跡地であったため混同されたものと思われる。この近くには、駒繁神社やオリンピック公園で有名な駒沢等、馬にちなんだ地名が多い。三宿の交差点からも近かったため、三宿の道場とも呼ばれた。

 錬武館時代より神之田師範と行動を共にした大里耕平師範もまた、杖に魅せられた一人である。民間会社に勤務していた大里師範は、少しでも稽古時間を増やすため錬武館の向いの家に間借りした。朝晩の道場の清掃、一人稽古を日課としたがそれでも飽きたらない。部屋にいるときは、杖を抱えて窓から錬武館の玄関を観察し、門下生が来ると稽古相手を求めて飛んでいったという。

 閑話休題。清水師範の他界後、杖道の普及発展の遺志を受け継ぎ、前述の大川五郎氏を初代会長とし、神之田、大里両師範の指導による新体制が途切れることなく発足した。爾来、蔵脩館の道場生のみでなく、大川会長や両師範の熱意に共鳴する各地の個人や団体が自然発生的に集い、合同稽古会や合宿開催の輪が広がった。その後、会長の神之田氏への継承等、組織の充実に伴う名称の変遷があり、現在では神之田氏を師と仰ぐ全国的な組織を日本杖道会と呼び、蔵脩館はその本部道場としての役割を担っている。(正式名称は、日本杖道会本部道場藏脩館杖道会となっている。) 平成三十年(2018年)には創立四十周年を迎え、名門杖道会として揺るぎない団結のもと、更なる発展を期している。